アラフィフ公務員の悟り

人生の主役は自分だと気づいたある公務員

取捨選択は難しい!

 毎日平和に生きていられることに感謝しつつ、まずは家族を幸せにできるように生きています。
 そのために、自分の信念を第一に考えながら、今後の生活を模索しております。

 さて、今日の話題は、日々の生活で見聞きするニュースは真実なのかということです。

1)性加害問題

 今頃になってようやく世間が騒ぎ出したニュース。
 私もそんな前に暴露本が出ていたとか、裁判にまでなっていたことを今回の騒動で初めて知りました。
 この問題は、加害者に対するメディアの忖度があったため歯止めがかからず、被害が拡大していったのだと思います。
 私が残念なのは加害者が死亡してから明るみに出て一大ニュースになったことです。
 加害者が死亡している以上、事の真相を明らかにし切れないわけですから、推測部分があまりにも多多くなります。
 被害者にとっては、加害者の身内だから代わって謝罪しますと言われても「あなたに謝られても」ってならないのかなぁと思います。
 だから、加害者本人が生存中にこの問題が公になっていればまだ被害者も救われた部分があったのかなと思います。
 日本のみならず、海外メディアまでもが取り上げ国際問題までなっている非常に大きな問題です。
 

2)京アニ放火事件

 報道では、本人の被害妄想からこの事件に発展したものだと言われています。
 容疑者は1人の女性に対する逆恨みしたことから大勢の犠牲者が出た悲惨な事件でした。
 
 この事件の争点は、事件当日、容疑者が心身衰弱状態にあったかどうかです。
 責任能力の有無によって求刑年数に影響しますが、一体どのように判定されるのか不思議です。
 容疑者は、自身の放火行為についてやり過ぎたと供述したとありますが、謝罪の言葉はなかったとあります。
 これは、事件を起こしたことは自身が認めているわけですからわかりやすい。
 供述も生の声なので聴衆にも届きやすい点は受け入れられやすいです。
 他に、彼の生い立ちにも触れており、不遇の少年時代を過ごしていることはわかりました。
 

 この2つのニュースから、報道は真実も伝えていますが、報道の全部が真実ではない可能性があるということです。
 まずは、真実は当事者同士しかわからないということです。そのことを当事者以外の者が何を言っても憶測の域を出ませんからそのニュースはガン無視する。
 一方、本人が供述している内容は信憑性があるのでここはいいと思います。しかし、その供述が本当だとも限らない。
 となると、その報道も鵜呑みにできないことになります。

【まとめ】

 何が真実かわからない世の中です。
 フェイクニュースとまではいかないにしても、全てが真実とは限らない。   
 むしろ、報道されていない所にこそ真実が隠れていることに意識を向けることが大切だと思います。
 目に入る情報を自分の中で噛み砕いて、ふるいにかけて取捨選択していく力を養う必要がありますね。