いつまでイエスマン!?
サラリーマンの出世は「イエスマン」であることがかなり重要な要素になってくると思います。
特にこの日本社会では・・・。
先日、国会の場で総理に向けて発言された政治家がメディアで取り上げられていました。
内容は、身内から手厳しい的を得た指摘をしたものですから、国民からしてみれば「その立場でよく言った!」「そうだ、そうだ!」という意見が多かったと思います。
しかし、後ほどその発言の重大さに気付いたのか謝罪したとかいう報道もありました。
「なぜ!?」
国民からしてみれば、民意を反映した意見なので、身内が耳の痛い指摘を堂々と言える組織って信頼できると思います。
パフォーマンスとしてされては残念ですけど。
私の職場でも「イエスマン」は数多くいます。
特に上部組織の方々に目立ちます。
やはり皆さんが守りたいのは組織ではなく、保身なんでしょうね。
今年からあるシステムを構築してそれを活用してより効率化を図りましょうという趣旨で導入されたシステムがあります。
このシステムの考案者は民間企業でいうところの部長又は専務クラスの方です。
実際、現場に導入されたのでいざ使ってみると欠点ばかり目立つシステムだったというベタなオチです。
でも、考案者が考案者なので無下に扱うことはできず、頻繁に使用するよう指示されるわけです。
挙げ句にその使用状況まで管理される始末。
ある時、その考案者が視察に来庁することになりました。現場の意見を聴くことを目的に「意見交換会」のために来るわけですので使い勝手の悪さを指摘することにしました。
ところが、予め批判的な意見は言わないように釘をさされるわけです。
意見交換会なんて名ばかりで、褒められてご満悦で戻られるように仕向けることが最大の目的になっているんです。
組織運営に必要なことは、現状を踏まえて改善し続けることで発展させていくことです。
権力者の顔色ばかり見て、自身の保身のためにユーザ目線で考えられない者が幹部にいる組織に明るい未来はないのです。
特に政府や公的機関のように税金で運営されている以上、常に最適な環境を提供できるように反対意見を歓迎できる環境を作らなければならない。
わが職場は「イエスマン」だらけです。
とても寂しい・・・。
アナログとデジタル
昔は処理に時間が掛かって面倒だったことが、デジタル化の進化により速くなっています。
そんな不便だった時代に再び戻って新鮮な感覚を思い出して恋愛をするというビートたけしさんの恋愛小説の「アナログ」が上映されています。
私も実際観に行ってきました。率直な感想はCMって観たくなるように上手に作られているなあということです。
今日は「アナログ」と「デジタル」をテーマにして私なりに昔と現代を比較してみました。
1)携帯編
かれこれ30年程前に今のスマホの前に主役だったガラケーが販売され始めました。
更にこの前となると、私は持たなかったので詳しくないですが電話機能はないポケベルというものがありました。
このポケベルもなかった前は待ち合わせも、今みたいに履歴を残せないわけですから、その時間に会えなかったりすると場所や時間が間違っていないか不安になるんですよね。
緊急事態で予定が変更になった時は困ったものでした。この点は今の方が圧倒的に勝っていますね。
2)カメラ編
今はデジカメやスマホで写真を撮ってその場で好きなものだけ選ぶことができて印刷、保存が手軽にできます。
一方、昔はフィルムを入れてそれをカメラ屋さんに現像に出して何日かしてから取りに行く。
このフィルムの最大の弱点は、全ての写真を現像しないといけないというところです。
写真を撮って直ぐにその場で確認できないため、失敗したとわかっていても強制的に現像されます。
これも一見デジカメが圧勝しそうなものですが、実はそうでもないようです。
人間はいつも同じ状況には飽きが来るのです。
違う世界を見て刺激を受けたがるため、画素数の低い静止画を楽しむのが流行っているようです。
3)辞書編
究極のアナログが書籍タイプの辞書です。
手垢がいっぱい着いた使い込んだ辞書というのは勲章のような見方がなされていました。
調べた語彙の隣に書いてある言葉も同時に覚えられたりすることもあるのがメリットです。
一方、時代は進み、電子辞書が発売され、更に進んでスマホ1つで何でも調べられる時代が来ています。
検索したものが一瞬で調べられる技術は素晴らしいです。これが日常になって、更に進化してもっと便利になっていくでしょう。
でも、本当にこれでいいのか・・・。
検索力は鍛えられるかもしれませんが、知識をインプットする力が鍛えられるかどうか疑問ですね。これからは覚えなくてもいい時代が来るのかもしれませんが、脳力の低下に繋がるのではないのかと思うのは私だけでしょうか。
アナログ対デジタル
どちらにもメリットデメリットとがあります。
アナログ時代に生きてきた私は、便利になるのは歓迎しますが、それで失われるもの、または得られたはずの脳力が育たなかったりしないだろうかと勝手に心配しています。
今や手放せないスマートフォン。
これがない生活なんて考えられないのは人類共通の意見だと思います。
アナログの時代にはもう戻れない。
令和の時代
元号が「令和」になってから、世の中が目まぐるしく変化しているような気がします。
まぁ、偶然なんでしょうけど、どうしても元号変更に伴って運勢が大きく変わったように思えます。
必ずしも悪いことばかりではないにしろ、快適な生活に向かっているようで、逆に生きにくくなっている令和の幕開けだったなあと感じています。
1)ジェンダーレスの時代
ここ4〜5年の間に「ジェンダーレス」という言葉が浸透してきました。
これは多様性を尊重するという意味では個人的には喜ばしいことだと思います。
それぞれの違和感を払拭するためにカミングアウトすることで生きやすくなるならそれは応援したくなります。
本当の自分をさらけ出すことで新しい世界の扉を開けることができたわけですからその人にとっては幸せなことです。
2)新型コロナウイルスの時代
「新型コロナウイルス」が流行したのもこの令和の歴史に刻まれる代表的な出来事です。
緊急事態宣言まで発令されたことは前代未聞の出来事でした。それだけ日本を揺るがす事態となったわけです。
しかも、日本のみならず全世界を恐怖に陥れたわけですから未曾有の事態でした。
この影響を受けて生活を一変させられた方々もたくさんいました。
特に飲食店や観光業界は大打撃を受けて廃業まで追い込まれた業者は少なくないでしょう。
3)個々の力で生きる時代
2024年から新NISAが始まります。
政府肝入りの施策で、個人投資家にとってはまさかの神改正で衝撃的な発表でした。
前に述べたコロナ禍に多額の予算を注ぎ込んだこともあるのでしょうが、これまでのように60歳から年金を支給して高齢者の生活を保証していくことが困難になったのでしょう。
国を頼らないでくださいね、自分の人生は自分で責任を持って生きていってくださいね、という時代がやってきました。
4)詐欺事件の時代
年々便利になっていく世の中と同時に、そこを逆手にとってSNSを利用して卑劣な犯罪事件が横行するような時代になりました。
黒幕まで辿り着けず、リスクに見合わない報酬で雇われた実行部隊だけが罰せられる。
簡単に稼げるを謳い文句に若者が惹かれて犯罪意識がないのか、目先のお金につられて理性がぶっ飛んてしまっているのか、真相はどうかわかりませんが未熟すぎます。
お金に対する執着心が強すぎるんですね。
5)物価高騰(円安)
コロナ禍が明けて、人々の活動が元に戻ろうかという時にこの円安時代を迎えて大変になってきました。
日本は自給率が低調なため海外からの輸入に頼らざるを得ないという弱点がもろに露呈されることになります。
ウクライナ情勢も後押しして、物価は上がり、賃金は上がらす生活が苦しくなる一方です。
6)忖度の時代
「日本人の美学」と言えるのかもしれませんが、空気を読む、気持ちを察することが社会に適合するためには必要とされています。
コレがあることがキッカケでゆくゆく問題に発展することがあります。
政治家絡み、人気タレント事務所絡みを始め、遂に明るみにでたかと言われる問題がこの令和になって爆発したんだなぁと思います。
他に、令和になってから異常気象で作物の生育に影響したり、水害に見舞われることも多くなるなど、今のところ「令和時代」はチョット残念な感が・・・。
瞑想をやってみる!
今読んでいる本の著者が瞑想を勧めていました。
知り合いにもチラホラと習慣にしている人がいるなあとは思っていました。
そこで、ちょっと調べてみました。
「瞑想」とは、心を静めて無心になること、何も考えずリラックスすること、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことなどとされていました。
結果、瞑想すると心や体を整えてくれるようなものらしいということがわかりました。
それなら今後の人生においてもプラスになることは間違いなさそうだと思ったのでやってみました。
1)心を静めて無心になる。
やってみた第一印象は、無心になることことがこんなにも難しいことなのかと感じました。
ものの数秒で雑念といいますか、仕事のこと、家のこと、これからの生活のことなど次から次へと押し寄せてくるんです。
達観すると無心になれるのかもしれませんがまだまだ修行が足りないなと思い知らされました。
2)何も考えずリラックスする。
仮に心が静まったとしても、「何も考えず」をクリアできるものでしょうか。
肩の力を抜いて筋肉を緩めていくことでリラックスはできます。でも、頭の中を空っぽにするの簡単ではないように思います。
3)何かに心を集中すること。
これは何も考えないことに集中することなのでしょう。やっぱり「無」になるということか。
頭の中にあるゴミ(雑念)を整理して空き容量を増やすようなイメージでいいのでしょうか。
それとも、これというものを決めてそれについてのみ集中して考えるということなのか。
集中力を養うことを目的として使う場合もあるのでしょうか。
4)目を閉じて深く思いを巡らす。
これは、真っ暗な闇の中にドンドン意識を降ろしていって現世の雑念が届かない深さまで降りていくというようなイメージでしょうか。
奥深く行った先には、真っ白な何もない世界があって、そこで今の課題について考える土台を造る。
確かにここまで持っていければ、浮世離れした精神状態に到達するのかも知れません。
そこまで行く間に意識が遠くなり寝てしまう自分がいる・・・。これはどうなんだろう?
5)まとめ
瞑想は、非常に有効な自己形成のメソッドとしての地位を確立している意味がわかります。
ただ、これは誰にでも簡単にできるものではないんじゃないかなあと思います。
ある程度の経験がないと、この無の境地に達しないように感じました。
それとも、私自身があまりにも雑念が多すぎるだけなのだろうか。
親子の関係・・・でも
公務員人生を歩んできた中で、職場にそれとなく忖度をして生きてきた自分がいます。
人間、特に若い頃は人にどう思われるかばかりを気にして生きがちです。
「忖度」という言葉があるように空気を読んで相手の要求に応えることに全力を注いで生きてきたことを後悔しています。
先日、久しぶりに母親と言い合いになりました。
私の母は、とにかくネガティブ思考で、周りにどう思われるかばかりを気にして生きている超絶承認欲求の強い人間なんです。
1)承認欲求は要らない
母の知り合いの子供が昇進して役職に就いたという話を聞いたらしいのです。
その子供の年は私と同じくらいらしくて、サラリーマンなら役職につく年齢になってくるわけです。ですが、私はというと実力もなければ、興味もない生活を過ごしていますので、当然昇進とは無縁です。
そんな私に、「あなたはどういうポジションなのか」と聞いてきました。私は昇進を目指していないことを伝えるとなぜ興味がないのか、当然昇進できるように頑張るのが普通でしょ?という感じで責めてくるのです。
いくら親だからと言っても子供は別の個体です。
しかし、親からしたら子供の昇進を心待ちにしている気持ちもわかります。
が、あくまで私の人生です。
母のために生きていないことを理解できないようなのです。
2)自分の常識を押し付ける
何でも自分が考えていることを押し付けてくるのには本当に困惑します。
自分の中で信念を持って「コレが正しい常識なんだ」と自己完結してくれている分には何の問題もないのですが、他人にまでそれを押し付けてくるものだからついつい足が遠のいてしまってます。
私の母も高齢になってきたので定期的に様子を見に行かなければと思いつつも、この年になっても持論を押し付けられるとと思うと嫌になります。
3)アップデートしない
これは高齢者あるあるだと思いますが、昔得た知識、習慣はいつまでも通用すると思いがちです。
確かに、ことわざなんかは今の世の中でもよく言ったものだなあと思うことは多々あります。
例えば、休日出勤があった時のこと。
この場合、振替休暇を取らないといけないという決まりになっています。しかし、そこは休暇を返上して働きなさいという自分を犠牲にして働くことで周りに認めてもらえるという高度成長期さながらの思考を今でも振りかざしてきます。
その考え方は、管理職のマネジメント能力が疑われる結果になる時代だということがわかっていません。
4)メディアに踊らされる
テレビ、新聞が情報源となっている母です。
幸か不幸かネットを見ることが少ないことは惑わされるメディアが減るという意味ではまぁ良いか。
高齢の母は、テレビと新聞で十分に影響されます。
コロナ禍最盛期だったあの頃、納豆が予防になるといえば買い、あのうがい薬が効くと聞けばすぐに買いに行く。
自分の頭で考えることをせず、メディアの報道を鵜呑みにしてすぐに飛びつくといった浅はかな思考に呆れていました。
5)たとえ親でも・・・
ネガティブ思考を持つ人間の側にいるとその思考は伝染していきます。現に、40歳頃までは私の思考は母親に似ていたと思います。
私の場合は、気功をきっかけに世の中の見方が変わったことから思考もクルッと変わりました。
例え親であっても自分の人生に影響がある程のネガティブ思考に付き合う必要はないと思っています。
自分の人生の妨げになる考えをいくつになっても押し付けてくる親なら、それは親であっても距離をおいて自分らしく生きることを選ぼうと思います。
最近の日本代表
10月になりようやく秋めいてきましたね。
涼しくなる秋はスポーツをするのに動きやすく、観戦するのにもイイ季節になりました。
早いもので、来年はいよいよパリオリンピックが開催されます。
それに向けてのワールドカップだったり、色々なスポーツが取り上げられて盛り上がっています。
日本は、ここ最近目覚ましい成長で世界からも注目される競技が増えてきて、日本代表としても優秀な成績を残しています。
そんな盛り上がっているテレビを見ながらよく思うことがあります。
1)代表入り選手
私がどうしても違和感を感じるのは「日本人の定義」です。
国際社会になってきて、純粋な日本人同士の結婚が当たり前の時代は終わりました。
ハーフ、クォーターの人種がドンドン増えてきているのは身近にもいるのでわかります。
ですから、こういう方々が日本国籍を取得するのは自然であり、何ら不満はないです。
ただ、ことスポーツの中で「日本人代表」として選出されることにおいては、純粋な日本人体型ではない選手が主力で出場されて強くなったというのもどうなのかなぁ。
2)日本人初!?
色々な選手選考会を経て日本代表チームとして選抜されて大会に出場して、勝ち進むと「日本人初の快挙!」としてもてはやされます。
確かに日本代表として試合をしてかつての成績を超えれば快挙となるのはわかります。
でも、それは日本人体型が進化して世界と渡り合えるようになった結果であるかというのであればわかりますが、これってどうなのかなぁ。
3)これまでと違う点
日本は先進国の一角を担う存在であります。
それに伴って、日本の魅力が上がっていることは必然だし、誇りにも思います。
しかし、今のスポーツ界は、日本の食べ物が人気があったり、衛生面で優れていることを理由に日本への移住を決めた外国人が増えてきた結果、日本国籍を持つスポーツに恵まれた体格のハーフ、クォーターの選手が増えたということです。
これはとても大きな変化だと思います。
4)本当は・・・
今、日本で活躍しているラグビー、バスケットは、いわゆる外国人の力を借りてこの成績を残せていることは否定できないと思います。
日本史上初の〇〇!と諸手を挙げて喜んでいいのかというふうにいつも思います。
見た目に日本人の体格ではないから排除したり、出欲出場しくないと言っているわけではないということはハッキリ申し上げたいです。
ただ、昔から世界各国と比較して日本人の体格では明らかに見劣りしている。だからこれまでスポーツ界では勝てなかったわけです。
そこの弱点を克服した戦術なり、肉体改造をするなりしたうえで世界に対抗できるようなチームが理想だと思います。
5)海外で活躍する選手
私は、日本人体型と大和魂を持つアスリートが海外に渡ってその先のチームでしっかり成績を残している選手を尊敬します。
最初は日本人は通用しないとバカにしていたチームメイトや現地のファンを虜にできれば最高です。
日本人として誇りを持って世界一のプレイヤーを目指して頑張って欲しいです。
理想の住処
人間が生きていく中で基本となる「衣食住」。
この中でそう簡単に変えられないものが「住」です。住むまでの準備が大変ですからね。
1人だとしても引っ越し準備、住民となる手続き、インフラの手続き、子供が就学中だとしたら転校手続きなど手間がかかるもの。
ですから、よくよく考えてから住処を考えたいものです。
そこで、私自身がセカンドキャリアを迎えた時の理想とする住処の条件を挙げてみました。
①賃貸戸建て
賃貸物件は、老後の住処としてその後のメンテナンスや最終的に処分することを考えなくて済むので条件の1つとして入れておきたいです。
マンションではなく、戸建てがいいと思うのは、騒音問題に気を使わなくても良いところです。
マンションだと上下の騒音トラブルになることが多いことから戸建てがいいかな。
②畑付き
その戸建てが借りられたなら、敷地内若しくは歩いて30秒くらいの所に家庭菜園程度の畑があれば最高かなと考えています。
好きな野菜を育てる楽しみを味わいながら、新鮮な食材を食してできる限りの自給自足をすることで趣味を増やし、支出を減らせるのでいい事尽くし。
そんな生活を夢見ています。
③駅 近
幼少の時から交通網の発達したところで育ってきたのでどうしても公共交通機関の有無を気にしてしまいます。
特に、バスより鉄道を重視しています。
時間に正確に動きたいタチなので渋滞を考慮しなくても良い鉄道駅近くに住むことが理想です。
距離的には500m〜1km以内です。近すぎず、遠すぎずといったところでしょうか。
④病院近く
あまり考えたくないことですが、万が一の時に自力で病院まで行けるような場所に病院があれば良いなと思います。
もう少しいうと、総合病院が理想ですが、とりあえず内科医院があればいいと考えています。
病院にはお世話にならずに済むように、日々の体力づくりと安定した精神状態でいられるように努めていきたいものです。
⑤人間関係
コレが一番難しいですよね。
自分だけ、家族だけで決められることではないのですから。
自分としてはずっと付き合っていきたいと思っても相手の都合で叶わなかったり、また逆も然り。
歳を重ねるに連れて人間関係は自然と整理されていくものだと思っています。
若い時は気にしてなかった「義理の付き合い」って、意外と金銭的にも時間的にも疲弊していることに気付きます。
そんな中では心が休まる人付き合いだけをしていくことですね。
自分が人生の主人公だと気付いた今、人生の後半は思いっきり贅沢、というかワガママに生きていきたいです。
まあ、理想ですから。